自由連想1

心のしがらみや恐れをひとつひとつほどいていくと、心はそれぞれからひとつひとつ自由になっていく。

精神の高みは自由さの度合いで図ることができる。

人間は認識のレベルが上がっていくと、物事の仕組みがよく見えてくるので、自分の恐れの根源もよくみえるようになり、それから離れることができるようになるのである。距離を置くこと、と言った方がいいのかな。
また、離れることができるようになるということは、自ら近づくこともできるようになるという意味を暗に含んでいる。「離れたくても離れられないでいる人」よりも「自ら離れたり近づいたりできる人」の方が一歩上のレベルにいることがわかるだろうか。距離感の取り方がわかるのである。その違いはやはり、自由度であり、乱暴にいうなら、度胸ともいえる。


最後まで人間を縛りつづけるものはなんだろーか。やっぱ最後は「時間」かも、と思った。

時間もまた、精神を縛るもののひとつであろう。

腕時計は外しといた方がいい。ととある友人は言った。

一日の長さは24時間とか、そういう考えから疑いはじめたほうがいいのかもしれない。人間の無意識のボトルネックを外す術はたぶんそこにも大きいひとつがあるはず。時間を考えるおかげで無意識のうちに身体性や思考や感情にセーブがかかってる部分は、たぶんあると思う。

だとしたらそこにある無意識の不安や恐れはどういったものになるのだろう。(空想としての)自己が解体することへの恐れがここにもあるとしたら、
たぶん時間への懐疑ってことは記憶への懐疑にも繋がってくるような気がしてならないんだけどなあ。


アインシュタイン相対性理論はやっぱすごいな。時間の絶対性を脱価値しちゃった。どーいう思考を普段考えていたらその発想に至るのかわからん(笑)あの人にはまだほとんどの人が開けてない無意識のボトルネックをはずしたところが、見えたのだろうか。


病的なまでの好奇心こそが心を開くキーである。



2013/02/04