風邪の特効薬を開発すればノーベル賞は確実

夏に出す話題じゃないけれど。笑


風邪、と一言でいってもその種類はあまた存在する。おおまかな分類としては2種類。

に分けられるそう。


「普通感冒」は、90%以上がウィルスによるもの。代表例としてライノウィルス(鼻風邪)とアデノウィルス(喉風邪)等がある。種類は100〜200種類以上あるそうだ。普通感冒のウィルスは遺伝子が変異しやすい。よってこれだけの種類を誇るのだそう。


一方「流行性感冒」。これはいわゆるところの「インフルエンザ」である。A型(ヒト・トリ・ブタ・ウマ)、B型(ヒト)、C型(ヒト、ブタ)がある。インフルエンザも2、3年で遺伝子変異が起こるそうだ。なんたる生命力。


われわれ人間が、薬を飲めど、免疫をつくれど風邪をひいてしまうのは向こうの種類が多すぎて、前にかかった免疫も次来たときにはほぼ意味がなくなってしまうからである。薬としても、数百種に対してひとつひとつ効く薬をつくっていたらきりがない。したがってどんな種類のやつがきても一括してビシィッ、と聞く特効薬を開発すればノーベル賞というわけだ。なんだか身近な病気なのに、意外な感じだ。



遺伝子変異をそれほどたやすくやってのけるウィルス達の生命力というのは、一体、如何ほどだろうか。向こうも必至なのだろう。「種類を増やせば、それだけ全体が生き残る確率も高くなるでしょ」という彼らの生き残り戦略は、さながら多角化経営に乗り出す企業の『リスク拡散』の経営理論にも適っている…。ということはそれだけ個々の種のしくみは複雑ではなさそうだ。企業だって多角化するほど個々の業種の専門性は失われていくものね。生命現象にも経営・経済理論っていうのはたまに顔を覗かせる、と僕は考えている。なぜなら生命は「できるだけ無駄を省く」「節約する」傾向にあるから。



しかして人間も必至だ。
人間を殺しにかかってくる(言いすぎ?)ウィルスの存在価値ってのは一体なんなのだろう?と思ってしまう。
人間にとって毒素である「活性酸素」が実は体内で役割を果たすケースも存在する(殺菌、解毒、ホルモンの合成…等)、というのを考えると、あながち特定の存在にとって不都合な存在も、別な観点から必要とされる可能性がある。(やや飛躍しぎみかもだけどね)
「意味のない存在」なんて存在しないからね。世界が情報の集積体である以上は。