学問としての心理学の難しさ

認知理論には期待していない。最近なんでかわかんないけど認知心理学(ひいてはその応用である認知行動療法)が嫌いになった。否、本当はわかっている。どうして嫌になったか。おそらく、そこに一抹の虚偽を感じるようになったからだ。

学問であることの根底にエビデンスを据える必要があるのは誰でも知っていること。
でも、なんかあれなんだな。自分の中の声がこう言うんだな。「エビデンスで人間わかったら苦労しねぇよ」と。

認知理論のおかげで心理学もやっと胸を張って学問界を闊歩できるようになったのかもしれないが、その代わり心理学者は自分の心を見つめなくなった。自分の心を使わなくなった。数字や確率で予測してなにが楽しいんだろうか。なにを分かったつもりになったんだろうか。それはマスの論理であって、コアじゃないよ、みたいな。一対一じゃないよ。100対1で理解する方法だよ。多数決の論理だよ。つまり、多勢に無勢だよ。(笑)支配の為の論理ね。
あれ、飛躍しすぎた?大丈夫、いつものこと。←


実験や数値を積み重ねて「外に」向かって構築していくのは他の学問がやればいいことだと思うよ。僕はね。

自分は心理学は「内に」向かって積み重ねていく学問だと思っているもんでね。

それは、もう精確には学問とは言わないのかもしれないね。
フロイト精神分析で「心的現実(Psychic Reality)」の概念を提出したときに、もう科学としての方法論を捨ててしまっている。つまり目に見える客観的な事実factよりも、その人の心の中にある罪悪感や恐れや空想phantasyという、「心的な」fact、内的な現実の重要性という考えに舵を切ってしまったときに、科学であることを捨てた。早い話が目に見えるものより、「目に見えないけどその人にとっては確かにあるなにか」を扱うことにしたわけだから。
これはある種とても危険な道だし、なにより理解を得にくい。「それ、お前の考えたおとぎ話でしょ!?」って言われちゃうから。科学として破綻してしまう。でも、実はそれも真実に至るひとつの方法論として有効なんだよ、ってこと。


外に向かって客観性を100積み上げて最終的に主観を理解する方法論も悪くないし、それはそれでいつかなんらかの真実をみつけるのだと思うけど、(=不確定性原理をみつけるんだと思うけど)

その逆に、「主観を100積み上げることで最終的な客観を理解すること」だってできるってこと。

究極までつきつめられた主観性は、ボコッと地面をつきぬけて万人に共通する心の構造、客観性を一番底の部分に見つけるのよ。


例えばフロイトっていう彼のエディプス・コンプレックス、親殺しとそれにまつわる罪悪感の心理も、彼の病気の、自分で自分を理解する中で生まれた概念で、そういう自分の無意識を発見したときに「えっ、ヒステリーのやつらみんなこれ持ってんじゃん!」ってことに気付いたわけだから。がんばったよね。自分の深い部分にまつわる理解は自分だけに留まらず、他の多くの人の理解にも役立つわけよ。それも一種の客観性。普遍性。


児童精神分析メラニークラインの考え出した抑うつポジション、妄想−分裂ポジションもそう。
あれも自分の理解からつくった概念。知ってる人ほとんどいないと思うけど、あれは人類の知的遺産だね。

分裂した「良い乳房」と「悪い乳房」の対象が統合されてひとつの奥行きをもった複雑な存在として知覚される心的態勢。つまり最終的には母親のメタファーなわけなんだけど。人間には自分に「良きもの」(喜びや快や、母乳・ミルク)をもたらす良い側面もあるけど、同時に自分に欲求不満や憎悪を覚えさせる(自分にとっての)悪しき側面もありますよ、っていう。良きも悪きもあわせてそれがひとりの人間ですね、っていう理解。成長すると現実の知覚レベルが上がってくわけ。より現実に即したものとして。


それが統合されずに分裂、分割(スプリッティング)されるとそれが外に投影されて(自分の内的な分裂は、外的な分裂として感じられるから。つまり投影。)、唐突に今まで良いと思ってた人が自分を迫害してくる人物に感じられたり、悪い人になって、とても妄想的な気分になったりするわけ。(=妄想−分裂ポジション)


それによって重篤なパーソナリティ障害や精神病圏の人の理解が進んだのだから、やはりこういうことを考えた人たちはすごい。よっぽど具合悪くないとできない(笑)具合悪いながらも同時に自我を保ちつづける精神力がないとそういう発想は絶対にできない。自分の中の一番底にある恐れを克服しないとそういうものは、みえない。


なので、そういう自分の心を使わない、自分の無意識を使わないでやった物事の理解には、リアリティーが伴わないわけ。要は早い話が、おもしろくないわけ。(笑)誰の心にも響かないのよ。治らないのよ。深い情緒的なものとの出会いがないと。人は。


煎じ詰めていえば、心理学っていうのは自分の内的な経験の水準に伴って理解が徐々に深まっていくものだ、っていうこと。そうじゃないものは、つまんないし、薄っぺらいのよ。まじで。


書いたら割と言語化できてきたようだ。(笑)つまり自分が認知理論あんま好きじゃないのは、そういう理由ね。
暇を持て余してストレス溜まってたからダーッて書いてみたよ。(笑)


おもしろい話だったでしょ?あ、そうでもない?あら、そう。。。