見た。

博士も知らないニッポンのウラ第36回「スピリチュアリズムのウラ」ゲスト・苫米地英人!いやー、待ってましたよ…。
早速さきほど2回、繰り返して見たがとんでもなくやばい回だった。仏教の「空」の概念を数学的に定義した人間として、25世紀の仏教の経文には苫米地英人の名が刻まれてるだろう、と自ら宣言してしまったある意味、記念的動画。ww


前回の第30回が苫米地英人という「人間」の経歴を紹介する動画だったとすれば、今回第36回はその苫米地英人の「哲学的・思想的側面」の回だったといえるでしょう。相当、ドープ。ほんとにまじでぶっとんでます。


特に宮崎哲弥氏も言っていたんですが、苫米地流・竜樹の中観思想の解釈というのはやはり高度で、本質的で、かつ平易な表現の限りを尽くした説明だったのだなぁ、と納得。こないだ自分もちらっと中観思想について記事を書いたものの、あれは苫米地氏の解釈に基づいて自分も書いただけなんでね。。。自分も今、完璧にインスパイアされて中観思想の本を一から読んでみてますが、本当、わかんねぇw 少なくとも「役割を与える」なんて表現はちらりとも、どこにもないし、その前にまずそこに何が書いてあるのか理解できません。一見、基礎心理学のようでありつつも、その中に高度な哲学が貫ぬかれており、広範囲にわたって、色々な側面から真理、というか彼らの考える本質?論が書かれているといった印象を僕は受けた、ただそれだけです。笑
それ以上、わかりようがありません、あれは。それをたった数行で、スパッと書いてしまった苫米地英人という人…。怪物。。。笑
なぜあれが理解できたんだ…?w


あと、個人的にかなり興味をそそられたのが、「時間・空間の最小単位がある」という話。
苫米地氏曰く、「プランク定数」がその空間の最小単位だというのだけれど、えぇーー!あれってそういう意味だったのー?という驚き。あれは俺もちょっとど忘れしちゃったんだけど、あれは確か物理もとい量子力学あたりで出てくる数値だった気が。ニールス・ボーアとかあそこらへんじゃないっけか?そういう意味だったわけ…?
それを苫米地氏は、仏教用語でいう「刹那瞬」だと、とった。
以前、俺は『パラドックス』のカテゴリーで「ゼノンのパラドックス」の記事を書いたんですが、そこでの疑問は、「瞬間」は永遠に続く無限の世界であるがゆえに「矢は進まない」のか、それとも動画が静止画の連続で成り立っているように、最小単位の積み重ねが、この瞬間瞬間なのか、一体どっちが現実の世界なのか、ということだった。つまり「点」か「無限」か、ってこと。まぁ当たり前に考えて現実に「矢は進んでる」から、要するに解釈の問題なんだろう、というのが当時の解釈の限界だったわけですが、まぁ、まさにそのとおりだったと。


数学的実在において質量も面積も存在しない「点」(あそこはニュートンの「質点」の概念が分かってると理解がスムーズにいくと思われる)の存在は議論が分かれるが、数学的実在が存在する、と信じている人はいる、と。じゃあその数学的実在は何か?結論、


「どっちでもいいじゃん」

と。笑



まぁね。「こっちだ!」って分かったところで、スイーーーッとその人の横を矢は飛んでいくんだね。ww
それよりもやることあんじゃんかよ、と。「現実にどう人間は生きるべきか」、ってね。そっちを考えようね、ってことだね。
それが釈迦の「毒矢の譬え」だと。(俺、あの話好きなんだよ。なぜなら俺は先に矢の成分を知りたがっちゃう人だからww)



みなさん本当に、これは、見ましょう。ww こんなレベルの高い哲学の話は絶対聞けないですw

https://miranca.com/entry/article6#033737

(ニコ動でもあがってます)