利己的でいい

語弊を恐れずに言うが。
「人間、利己的でいい。」
自分に誠実であること、自分を主張すること、「わからない」「納得できない」「こうしたい」と思ったことをそう主張することは悪じゃない。むしろ正しいことだとあえて言い切ろう。
主張と主張のぶつかりあう中でおのずと生まれたものが、社会のルールというものである。
また、主張することをやめるということは、「自分の論が間違っていました」と認めることと言っていい。正論であることを相手にゆずると同義だ。沈黙は敗北である。


自分を主張しよう。
自分の人生だからだ。
「自分のための人生」であり、「自分で生きる人生」だし、「自分で責任を取る人生」だ。
誰かのための人生じゃない。俺は誰かのために生きてるんじゃない。
誰かに認められたくて生きてるんじゃない。「すごいね」と誉められたくて生きてるんじゃない。誰かに使われるために生きてるんじゃない。
お金のために生きてるんじゃない。地位や肩書が欲しくて生きてるんじゃない。組織のために生きてるんじゃない。


俺は俺のために生きている。
俺はただ「幸福になりたい」って強烈に思ってるだけの人間だ。
ぜんぶ、そのためにあるんだ。


学問が人間から始まり、人間に帰着するものであるように。


そのために納得しきった人生を生きたいじゃん



だから俺はもう誰にも妥協しないよ。
納得するまで主張するよ。
バカだと思ったら「バカ」っていうよ。
おかしくねと思ったら「おかしくね?」って言うよ。


その代わり、正しいって思ったことは「正しい」って言うよ。


自分を堪えるのは美徳じゃない。ただの「抑圧」だ。もう後悔することだけはまっぴらごめんだ。
「本当に正しい人生はこれだ!」「正しい在り方はこれだ!」と言い切れるものを見つけるまで、絶対に妥協しない。





いつの日だったか、そう固く心に決めたんだ。