「なぜだろう?」と考えること 「食品の裏側 / 安部司」

食品の裏側―みんな大好きな食品添加物

食品の裏側―みんな大好きな食品添加物


ミランカ・博士も知らないニッポンのウラ、つながりで。
これは良い本。
「専門知識・専門用語分からなくてもわかる食品添加物」といった感じ。現場主義ですべてを見てきた著者だからこそ書ける、食品の裏側が、生々しいくらいに、告発されている。エグイわ〜。
自分のところで作った食品を、その会社の人間は絶対食べない』そうだ。なぜならその食品をどうやって作ったか、その製造過程を知っているから。
このことがすべてを物語ってるよ。


この本のいいところは、専門的な言葉なしで、かつ平易な表現で語られている所。そして、かつ話が「本質的」であること。平易で、かつ高度な内容を伝えるのは誰しもできることではない。そしてこれこそまさに良書の条件でもある。
そして他の本と一線を画している点は「添加物」そのものを肯定も否定もしない点。曰く、「光の部分も影の部分も両方、【知る】ことが大事。しかしほとんどの人はその善し悪しを判断する知識すら持たない。実際は持ちたいのだけど、様々な理由によりそれすら持てない。それが問題なの。」と。まず知りなさいよ、と。


まさに大事なのは開眼。


その目を開いて、事実をありのままに「見る」こと。「知る」こと。昔風に(そして仏教的に)いえば「如実知見(実の如く見て知る)しろ!」と。
そのための第一歩はまさに「なぜだろう?」と考えることであり、これは物理や生物学、すべての事象に通じること。「自分の頭で、考えること」なのだ。

まずは普段当たり前のことをあえて「意識に上げる」ことから始めよう。人間は自分にとって大事な情報しか意識に上げない。人間の眼球はサッカード運動といって一秒の間に4,5回視点を変えているが、次の視点に移っている間、前の視点の情報はすでに失われている。見ているけど、見ていない。それをできるだけ意識にあげる唯一の方法が、「好奇心」なのだ。つまり世の中は、好奇心のあるやつの勝ち。



以下メモ。

→植物油に水を混ぜ、添加物で白く濁らせ、ミルク風に仕立てたもの――それが「コーヒーフレッシュ」の正体。牛乳、生クリームを使うよりはるかに安上がりゆえ、「使い放題」。成分は【植物性油脂、乳化剤、増粘多糖類、ph調整剤、着色料、香料】であり、「牛乳(生乳)」とは一言も記載されていない。しかも癖モノなのは、容器や包装が小さい場合(30cm^2以下)は成分表示しなくてもいいこと。食品衛生法で決められている。―――我々は「裏」の確かめようがない。


  • 日本酒にも紛れ込む添加物

本来、日本酒は米に麹を仕込み、さらに酵母を使って発酵させてつくる。このとき、麹がコメのたんぱく質アミノ酸に変え、うまみ成分をつくりだす。これは「純米酒」。しかし、このやり方ではコストも時間もかかり、市場競争に勝てない。そこでその他の物を加える量によって、酒も4段階ほどに分類される。


日本酒の原材料と添加物

純米酒 本醸造酒 普通酒 合成酒
米、米こうじ 米、米こうじ、醸造用アルコール 米、米こうじ、醸造用アルコール、糖類、酸味料 醸造用アルコール、ブドウ糖、水あめ、グリセリンコハク酸、乳酸、グルタミン酸ナトリウムグリシン、アラニン、酸性リン酸カルシウム、着色料、香料


本醸造酒」の場合、甘酒のように溶けた米を、酒と酒かすに分けるがその前に「醸造アルコール酒類原料用アルコール)」を加えて増量する。さらには、アルコールだけでなく、調味料も使用する。調味料として「ブドウ糖」「水あめ」「グルタミン酸ナトリウム」「乳酸」「コハク酸」などを加える。つまり純米酒をアルコールで増量したものをつくって売る。これらは別名「アル添酒(アルコール添加清酒)」と呼ばれる。1本の純米酒から10本の酒ができる。


本醸造酒」にはアルコール添加量が定められているが、一般清酒には決められていない。=普通酒はいかようにも味の調節が可能。
一番安いのは合成酒。酒屋やスーパーで並んでいる一番安い酒はコレ。


ちなみに「吟醸」「大吟醸」という酒の区分もあるが、あれは使うお米の精米法の違いでしかない。要は米をどれだけ削るか、の問題。米は外側タンパク質、中は糖質。中心部分を多く使った酒の方が、糖分の多い甘味のある酒ができる。

→よって「大吟醸純米酒」があれば「吟醸本醸造酒」というのも存在する



  • 「みりん」や「しょうゆ」も同様。食卓にはびこっているのは「みりん風調味料」「しょうゆ風調味料」でしかない。添加物でつくられた味でしかない。それをあたかも本物のしょうゆのように表示して売っているのは問題。
  • 「明太子」「漬物」「練り物」「ハム・ソーセージ」は特に添加物を駆使しなければ売れない商品である。

=原材料はけっこう劣悪な状態のもの。たとえばタラコ。柔らかくて色の悪い低級品のタラコ。→添加物の液に一晩漬ければ、たちまち透き通って、身も締まって、しっかりした硬いタラコになっちゃう◎


消費者に【裏側】を見えなくさせているもの

  • 「一括表示」

一括表示とはいくつかの添加物を一括して表示すること。これも食品衛生法で定められており、その方が分かりやすいから、という理由で行われている。ところが、業者にとってこれほどありがたい法律はない。化学記号が4〜5種もずらずら並んでいては悪印象を持たれるところを、一括表示なら「ph調整剤」とだけ書けばいいのだ。


ひとつの一括表示の裏には添加物が4〜5種使われているのが普通であるそうだ。


【※一括表示一覧】
イーストフード」「かんすい」「香料」「調味料」「乳化剤」「ph調整剤」「膨張剤」「酵素」「ガムベース」「軟化剤」「凝固剤」「酸味料」「光沢剤」「苦味料」


それぞれの詳細は割愛。ひとつの表示に4〜5種。とりあえずこの表示だけは覚えておけば何が入っているかはわからないが、「だいたい何種くらい入っているのか」くらいは認識可能。これならひとつひとつカタカナの名前を覚えなくてもいい。沢山入っているのは【なるべく】避けましょう、という単純な理論。でも実用的。



  • 「表示免除」

加工食品においては添加物を含む原材料をすべて表示しなければいけない、と食費衛生法には定められているが、その例外。そしてこれこそが添加物がはびこる温床である、と安部氏は指摘している。


1「キャリーオーバー」
原材料からそのまま持ち越される添加物のこと。たとえば焼き肉のたれをつくる際には、原材料にしょうゆを使うが、このしょうゆに含まれる添加物は表示しなくていい、というもの。最終的に出来上がる「焼き肉のたれ」には効き目は及ばないから表示しなくていい、ということになっている。だから表示にはただ一言、「しょうゆ」。とだけ書かれる。これには我々は見抜きようがない。



2「加工助剤」
加工食品を作る際に使われた添加物のうち、食品の完成前に除去されたり、中和されたりするものは「加工助剤」とみなされ、表示しなくてもよい。
たとえば「みかんの缶詰」は肉皮がむかれた状態で詰められている。この皮は塩酸とカセイソーダで溶かして除去しているが、塩酸はカセイソーダで中和されるため、みかんには残っていない。だから表示の必要はない、ということになっている。
 また、「カット野菜」の切り口がなぜ「茶色」にならないのか。この長持ちの理由は、「殺菌剤」(次亜塩素酸ソーダ)のプールに投げ込んで消毒しているから。その消毒現場は、それはそれはすさまじいそうだ。しかも濃度を変えて何度もプールにぶちこんでるんだってさ。うへぇ。笑




3「バラ売りおよび店内で製造・販売するもの」
バラ売り(包装していないもの)の加工食品も、添加物の表示は不要。パック詰めしないで枚数売りの魚、詰め放題のお菓子、ベーカリーショップのトレイに乗ったパンなど。「自分で作って自分で売るから表示の必要はない」そういうことになっている。これもこちらは何が使われているのか、知りようが、ない。




4「パッケージが小さいもの」
飴や一口サイズのお菓子など、パッケージが小さい場合(30?^2以下)は、原材料を記載しなくてもよいことになっている。入ってる添加物をすべて書いたら、ラベルが本体を覆ってしまって中身が見えなくなるため。主要なのだけ書いてごまかしている。

大事なのは情報公開

仮に、いくら我々が自分の頭で考える人間になったからとて、上記の法律が存在していては見えるものすら見えない状態が続くのみ、だ。それはフェアじゃない。良い・悪いは私たちが適宜判断することであるから、(メリットもリスクも両方考えた上で。)それを考える土壌はよこせや、という話。ましてや物理的、経済的に考えてありえないものがありえない値段で売られているのが、本当のところである。それがあまりに【当たり前】になりすぎてる。当たり前すぎて疑問を挟まなくなっている。それが問題。


それ相応の理由があって、その「魔法のような」市場が成り立っているのだから。


これを読んだら「俺、食べ物の本当の味をしたやつ、食べたことあんのかなぁ…」なんて思ってしまったよ。本来の味、経験したことあんのかな、って。「人為的につくられた味」しか食べたことなんてないのかも。絶対、安っすーーい舌になりさがってるんだろうな。イミテーションワールドに僕らは生きているね。まさに「世の中は虚偽で成り立っている」。
灰谷健次郎みたいに、島で生活すっか?って話。笑 絶対しないけど。




ものをつくるのは、大変なことなんだ。昔はみんな苦労して、食にありついてた。お母さんは子供のためにがんばって早起きして、子供の弁当をつくる。それすら、最近はレンジでチンのだって入ってるけど笑、でもお母さんは自分のためにがんばって早起きしたわけだね。

お湯注いで3分でつくったカップラーメンはある意味簡単に「ジャーーッ」って流しに捨てられるけど、お母さんがもし朝3時から一からつくった弁当だったらあんた捨てられますか?と。「捨てれる」っつうんなら、ためしにあんたじゃあつくってごらんよ!って世の母は思うんだろうな。


おんなじように、モノの売り買いをする「相手の顔」が見えないのが今の社会。待ってたら何でもすぐ出てきちゃうような、何でもそこらへんにあるような、そんな錯覚が、ある。正直、僕もそれがあった。


本来はそこに商売とはいえ、人が汗水流して作った苦労という「付加価値」が存在した。でも今はその苦労すら見えない。だから「ただのモノ」にしか見えない。苦労を省くことが良くない、なんて時代錯誤なことを言うつもりは毛頭ないが、見えなくなったものは確かに、あるな。



まぁ添加物の話なんか知ると、苦労かけていないもの、の方が今は多いけどね。逆にいえば全然僕らのために苦労してくれてねぇ、ってことだけど。自分らがいかに多く儲かりたいかだけじゃん。「効率的な儲かり」と「消費者を喜ばせれる程度」を両立できる均衡点を探すのが経済だけど、たまにそれを天秤に掛けた時に「儲かり」のほうが傾いちゃう企業が多い、って話よね。彼らはそういう意味では便利さだけはこれでもか!ってくらいくれるけど…



…それにしてもなんて薄っぺらな便利さなんだろう。



まさにサンテグジュペリ「星の王子様」よろしく、「大切なものは目に見えない」という言葉そのものの世界だ。
「あぁ、君が井戸から汲み上げてくれた水は、世界のどんな水よりもおいしいな…。だって君が僕のためにこの井戸を探して必死でくみ上げてくれた水なんだもの」
というあの言葉が聞こえてきそうだ。



目に見えないものが本当に見えなくなってしまった世の中だ。ヒトをヒトとすら思わなくなって殺してしまう世の中だ。


…なんて怖いことなんだ。