論理哲学論考、抜き書き。

論理哲学論考

1    世界は、そうであることのすべてだ。
1、1  事実の総体で、もののではない。

1、13 論理空間中の事実が世界だ
1、2  世界は事実から成る

2、19  論理的像が世界を写像する

3、03  非論理的なことは一切思考できない。でなければ非論理的に思考することになる
3、031 かつて「神は論理法則に逆らうもの以外、なにもかも創れる」と言われた。すなわち「非論理的な」世界については何も言えないし、そう見えることもない
3、032 言語において「論理に反する」ことを描きだせないのは、ちょうど幾何学において空間の法則に反する図形を座標で描きだせない(どこにもない点の座標を記さない限り)のと同じである。

3、221 存在は「名づける」ことしかできない。記号がその代わりをする。われわれはそれについて話せるだけで、それを言い表せない。命題はものごとがどのようであるかを言うだけで、それが何かを言わない。

4     考えは有意味な命題だ
4、001 命題の総体が言語だ

4、113 哲学は、自然科学で議論できる領域の境界をひく。
4、114 思考可能なものを、そしてそれによって不可能なものを画定する。
      思考不可能なものを、内側から、思考可能なものによって。
4、115 言いうるものを明晰に描き出すことで、言いえないものを指し示す。


4、116 そもそも思考できることはすべて明晰に思考できる。言い表せることはすべて明晰に言い表せる。



4、121 言語に映し出されるものを、言語は描きだせない。
      言語に表現されるものを、われわれが言語で表現することはできない。
      命題は現実の論理的形式を示す。

5、123 神がいくつかの命題が真である世界を創るなら、それによってそこから帰結する全命題が妥当する世界をも創っている。同様に、pの全存在を語らずにpが真である世界を創ることはできない。

5、124 命題はそこから帰結する全命題を肯定する。

5、133 全帰結はアプリオリに生じる

5、1361 未来の出来事は現在のそれから推論できない。
       因果連鎖を信じることが、臆見だ。
5、1362 意志の自由は、未来の行為をいま知りえないことに存する。それを知ることができるのは、因果関係が論理的推論のように内的必然性を持つ場合だけだ。知ることと知られることの関係は、論理的必然性をもつ。

5、6 私の言語の境域は、私の世界の境域である。



5、62 この考察は独我論がどこまで真理であるかを見定める鍵になる。
     すなわち、独我論が思うところは全く正しい。ただそれは言われ得ず、示される。
     世界が私の世界であることは、言語(私が理解する唯一の言語)の境域が私の世界の境域であることに示される。

5、621 世界と生はひとつである
5、63  私は私の世界だ(小宇宙)

5、632 主体は世界のどこにも属さない、世界の境界だ。
5、633 世界のどこに形而上学的主体が見つかるというのか。
      君は、それはちょうど眼と視野の関係だという。だが、君が実際に眼を見ることはない。
      かつ、視野上のなにも眼によって見られていることを推論させない。

6、13 論理は、理論ではなく世界の鏡だ。
     論理は超越論的である。
6、21 数学は論理的方法である。
     数学の命題は、等式それゆえ疑似命題である。