近頃思うこと

・優しく、そして柔らかくあること(強さとはそういうことだ)


・「使われる」のではなく、「使う」こと。


・システムに飼いならされるのではなく、システムをこちらが「使っていく」こと


・敵をつくることになっても、自分に対する偽善を認めてはいけない
筋の通ったことであると信じるなら、主張するべきである


・ただし、その主張は「倫理ある主張」でなければならない


・「言う」ということはそれ自体「慈悲」であること


・もっと深く言えば、「他者の調和を促進させる行動」は慈悲であるということ。
現象という現象は、熱力学第二法則から導き出される「エントロピー増大」の法則に則って乱雑に、散らばろうとする傾向を持つ。

それに対して、あらゆる生命の流れは外からエネルギーを取り入れて、その乱雑さと相殺させることで、システムがバラバラになろうとするのを抑え、まとまりを保とうとする。否、むしろそのまとまりを保とうとする「傾向性それ自体」が「生命」といえるのではないか。一体何が根源的にそうさせているのかは定かではないが。


人の「死」はいわば「エントロピー最大」の状態ということができる。
「死」とはエントロピーに対してまとまりを保とうとする力が働かなった状態のことだ。


そういったことを考えると、生命というのは「生かそうとする」モノであると言える。「死なそうとする」生命はそうそうない。あ、でもアポトーシスのことを考えるとそうともいえないか。。。
訂正。
生命とは「調和へ向かおうとする」モノ。これでどうだ。
アポトーシスで自ら死に向かう命だってあるが、それは結局は「全体としてのひとつの命」を「生かそうとする」がゆえだからねぇ。
死によって生かされている命があるなんて、峻厳すぎる。

以上を踏まえると、生命のあるべき姿というのは、どうやらこういう「慈悲の行為」であるように思えてならない。

やはり、キーワードは「調和」だ…


・円満で、調和の取れた人格、内面、環境を整えるよう努めること
また人にたいしてもそうあること。
そのとき初めて、人間は真の意味で「生命」たりうることができる。


…理由は上に同じ。