yossy×ハム対談をやってみて思うこと

・対話形式を文章に起こして、保存することには多大に価値がある
→価値ある対話が残る点
→複数者によるもののため、自分にはない情報が手に入る
→自身の考えや知識の誤りが修正される
→価値の共有ができる
→話の流れの中で使われた概念は、読んでいる側としても分かり易い
→「コミュニケーション」である点


ざっと考えるとこんなところか。


対話形式はけっこう利点が多い。
さらに…。
これからの目論見であるのだが、これをネット上でリアルタイムで行うことの利点について考える。


・時間・空間を超越して会話を続けられる点
・第3者への情報提供でもある点
・だれでもいつでも話し合いに加われる
・文面として記録に残る点
・なんとなく口にはばかれることも言える(気がする)匿名だし。
・じっくり考えながら発言できる(焦って発言する必要が無い。万一話題に置いていかれても、それでも言いたいことであればスレを立てればいいわけだし。)
・人と人を結びつけるものである点


要約すると…、
・「リアルタイムの会話でありながら、記録に残る」
・「距離、時間の枠を超えれる」これが一番大きいメリットだろう。
・「人と人のコミュニケーションを強くする」


これは地に足着けば相当おもしろいことになりそうだ。


このサイトで現実的にやるには…、
・「掲示板」でカテゴリーをつくる、
・それか記事の「コメント」欄に書き込んでもらえば私の書いた記事についてそのまま議論できる。

後者が効率的か。



――今日はハムが家にきていた。「これ読んだんだよ」とそのまま話していると「今の話の内容よくね!?」ということになった。ちょうど手元にてPCではてなを更新している途中だったので、そのままその概念を書こうとしたがうまくいかず、会話をそのまま起こそうとしたところ「お?これは斬新だぞ?」っと…笑 二人でその対話内容を再度交互に文章に起こしていくことをして約1時間。めでたく「対話」カテゴリーができあがった次第である。
会話を文章に起こす、というのは自分の中ではかなり画期的だと思っているのだよ。エヘヘ。
会話の中で知識と知識がぶつかって「新知識」が生まれてることがあるからね。それを捉えられる。


先日の先生の指導にもあるように、世の古典の多くは対話形式である。
ソクラテスプラトンの対話。
論語」も師と弟子の対話形式。
法華経」など仏教の経典も対話形式。
日蓮大聖人の「立正安国論」も対話形式。
ゲーテファウストとかも。


お互い自身のためにも、ガンガン書き込んでください。
そして共有、成長、進化、深化につなげていきたい。
なにより私自身、価値的な議論が出来るような記事を発信していくよう精進して参る所存!