死は動物にとってエントロピー最大の状態

エントロピーとは「乱雑さ」の度合い。
「最初は整理されていた本棚が、段々と人が使うごとに分類もクソもないような乱雑な本棚になっていく」
というような例が直感的な説明として引き合いによく出される。最初の状況に比べて最後の場面ではエントロピーは増加している、ということになる。
それを誰かが見かねて整理しだすとエントロピーは減少に転じる。


しかし、本棚は確かにキレイになるが、そのために整理した人はその仕事を成した分だけ体内でエネルギーを消耗し熱量が生まれている。つまり体内のエントロピーは増加している。結果的に全体で見てエントロピー増加分は変わらないことになる。


エントロピーを減少させるには、外から「仕事」のエネルギーが必要なのだ。(=エアコン。部屋のエントロピーは下げるが電気で機械を動かし≪仕事≫をさせて熱エネルギーを生み出す。生まれた熱は屋外へ排出。)


「系全体ではエントロピー総量が変わらない」というのはそういう意味である。(間違ってたらごめん)



さて、そこで動物である。
動物は体外から食物を摂取することで、ATPを生成し、それを元に身体を動かし、代謝をして、身体を維持し、生きている。それらに使われたATPは体内で電気的なエネルギーや熱のエネルギーに変換され、体外へ出される。「体内における」エントロピーの増加だ。



ここで言えるのは
「動物は乱雑になろうとする身体をまとめておくために外部からエントロピーの低い食物を摂っている」
と言えるのでは、ということ。


こういうことを言ったのは量子力学の第一人者シュレーディンガー
「生命とは何か / 岩波文庫

でそういった記述を見ることが出来る。



正確に言えば、

《食べたエントロピーと排出したエントロピーの差がマイナスなので、動物は正味外から負のエントロピーを体内に取り入れている勘定になる。それでも最後は乱雑になろうとする傾向に打ち勝つことは出来ずに、いつか死を迎えるのである》

ということらしい。
もちろんこの論にはいくつか批判もあったようであり、必ずしも妥当性があるとは言いにくいようではあるのだが。


「生命とは何か」ではその論の後に進化論や突然変異の話題に転じ、「突然変異の起こる確率」は「量子飛躍」の概念で説明できるのではないか、との論になっていく。量子力学者でありながら生物学、人類学の範疇に渡って何かを「解明したい」、という思いが印象的な論文だった。


星の一生も、エントロピーと重力のせめぎあい

星は、星間物質が重力によってひきつけられできたもの。それらのほとんどは水素やたまにヘリウムである。

重力によって内側に向かって押しつぶされていく水素同士は、核融合を起こし、膨大な光と熱エネルギーを放出する。そのエネルギーは質量×光の速さの二乗に比例している(アインシュタインのE=m×c2乗である)


我々が見ているのはこの核融合の際に生じた光である。


ところで、水素を燃やすというのは「=外に拡がろうとする圧力」であるという。つまり、エントロピーの増加の力といえる。
それに対して、星の質量によって内側に「まとまろうとする」重力はエントロピーに抗する働きだ。


星の一生とは、「エントロピーと重力のせめぎあい」なのだ。



またその考えでいくと、宇宙そのものも、宇宙全体の質量による重力と、膨張、というエントロピー増大の果てしない「戦いの場」として捉えることが可能。


(これ、俺が言ってるんじゃないのね。物理学者がそういってるのね。)


仏法でも「人生は常時、生命の奥深くでの善性と魔性(=仏と魔)の闘争である」と捉えるし。生命の本源的な「創造」の力を拡大させていくか、それとも生命を破壊させようとするこれまた生命に本源的に備わる「負の衝動」を拡大させるか。瞬間瞬間がその「勝負」である、と。「闘争」である、と。ここんとこもどこはかとなく、やはりリンクするんだよなぁ。




※今のところ宇宙の長期的な運命は「永遠の膨張」といわれている。が、宇宙がそもそも「乱雑」になろうとする原因がどこにあるのか、今のところわかっていない。