竜樹・「中観」思想


正しいことを言うことだけが、正しい(善)とは限らない。





…と言いますのも、この間hamuと喋っていたんですよ。テーマ「男と女の浮世」みたいな。笑 そんな感じで。笑


自分は、男も女も、同じ「人間」としてしか見れないんです。
まぁだいたいにおいて世の一般的な男の追い求める理想的な女性像、っつたらね、「顔が可愛くて、胸がおっきくて〜、こういう仕草で〜等、…女の子らしい子!」みたいなとこあると思うんですけど。一方、かたや女としても「男は経済力があって〜、力強くて〜たまにちょっと強引な感じがスキ〜」みたいなの、あると思うんですよ。人によって差はあれどもね。


まぁでも自分としては男の女の違い、っつったら結局「棒か穴か」っていうのと「胸が出てるか出てないか」だと思うんすよ。(←暴論)俺は中学時代に「男も女もつまるところおんなじ人間でしかねぇ。どんなに容姿端麗な美女も、ばあさんになればしわくちゃだ。どんなに爆乳の女であろうと、ばあさんになればやっぱりしわくちゃになって垂れ下がる。だったら自分はそんな儚いものは追い求めねぇ。だいたいにして女のことしか考えてねぇような男は頭が悪そうだ。品もねぇ。俺はああはなりたくねぇ。唯一変わらないものがあるとすれば、それは『人格』というか、人間としての『内面』。それはしわくちゃになるどころか、年取れば取るほど良くなっていく。だったら俺はそこを愛していこう、と。人間として尊敬しあえるような人と付き合おう、と。かわいいとかSEXしてぇとか、そういう動機で恋愛は絶対しねぇ」と本気で思ったんすよ。


苫米地的にいえば、一般的な性欲というか女性欲を「抽象思考」することにより「止観」した。笑
残ったのは女性欲というより、「人間欲」みたいな。



でも現実に世の中で彼女ばっかりつくってなんか表面的に見れば人生エンジョイしてるように見えちゃうのってたいがいそういう(俺から見て)品のない男なわけですよ。まぁそんな相手と一緒にいる女もどうかと思うんだけど。それがでもなんかねぇ、「悔しいなぁ」と思ってね。笑 …うん。悔しかったの。笑
「なぜだ」みたいな。世の中への怒りですよ。笑 一方的なね?笑



…ってことを話したんすよ。hamuに。そしたら
「うわぁ〜笑 こいつおもしろくねぇ〜笑 俺だったらやだわ、そんな人!笑」
みたいな、もう一笑に付されちゃってね。俺としては「え?マジ?」みたいな「今までの努力ムダ!? 俺の抽象思考返して!笑」みたいな。びっくりしちゃって。いつもは理解してくれんのに、ここだけはわかってくれないのか!?みたいなね。


でもね、聞いたんですよ。
「でも俺間違ったこと言ってなくない?」


そしたら、
「うん、間違ってはないと思う。でも、つまんない。」
の一言…。笑



その瞬間、俺、世界がひっくり返ったような感じしたよ。笑 な、なにぃ!みたいな。でも確かに!とも思った。



「俺、逆にいいと思うよ。『可愛いくて超胸でっけぇ女の子とSEXしたいっす!』みたいのも。それもそれで向こうからしたら可愛げあるんじゃない?w」


結局、俺がこの理論を採用するかはまだ決めかねているが、(この考えだけに偏る必要もないけど)でもこれは確かにある意味、真実を含んでいると思ったね。


真実というか、真理、みたいなのを追い求めるのも確かにいいけど、でもそれをやりすぎると行き着くのは「空」なんだよね。なんか達観しきってしまっている境地、というか。みんなが楽しみと思ってることも、ちっとも楽しみじゃない、というか。それが仮に真実であれば、その真実は真実でいいとして、でも僕は今こうして「社会」の中に生きているわけですよ。みんながみんな「空」に達してるわけじゃないし、女性とか、酒とか、パチンコとか、仲間と会うこととか、みんな思い思いそれぞれに楽しみを見出しながら生きているんだなぁ、って思ったのね。



きっとこれが、インドの竜樹(ナーガルージュナ)の『中観』思想の言いたいことなんだな、と思った。たとえば映画を見ている。映画を「映画」、とそのまま捉えるのは「仮観」。反対に映画はその細部まで見ればただの「光」だし、つきつめれば「素粒子」だ、と。だから「光見て何が楽しいの?」って言っちゃえばそれまで。笑 これは達観しきった境地。「空」。そこで、でも今は彼女とデート中だとする。「でも今は彼女と一緒にこれを見ていて、彼女もこれを見て喜んでいる、自分も一緒にこんないいものを見れて、だから幸せ(ハート)」みたいな、これは「中観」。


いわば、「中観」とは物事に「役割」を与えること、だと。

空観と仮観のどちらかに偏るのも愚かだ、と。それを防ぐために、空思想の発展として、竜樹はこれを説いた。


だから、そういう世の中の価値観を達観しちゃって、否定して「ムキー」ってなってるのも、なんかそれはそれで馬鹿らしいな、って思ってさ。もしかしたら受け入れられそうだよ。そういう考えも。っていう今日の覚書きなんだけどさ。だからといって品のねぇあほな男になるのは嫌だけど。
俺は俺らしくあっていいんだ。その上で、って話ね。


ちなみに「中観」の部分は苫米地英人著・「スピリチュアリズム」に書いてあることそのまんまです。(スピリチュアリズム脳科学の視点からバキバキに否定してます。笑)その意味がやっと本質的に理解できたような気がするよ…。



仏教思想、頭よすぎ、と思った。