マクスウェルの魔物

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

「マスクウェルの魔物は、アイデアとしては実に単純だ。だが、この魔物には一流の科学者たちも頭を悩ませてきた。そしてこれにまつわる文献は熱力学、統計力学情報理論サイバネティックス、計算の限界、生物化学、科学史、科学哲学といった様々な分野に見られる。」(アメリカの物理学者ハーヴィー・レフとアンドリュー・レックスの言。)


イギリスの物理学者ピーター・ガスリー・テートは親友で大学時代の仲間のマクスウェルに手紙を書き、熱力学の歴史をまとめた原稿を出版する前に批判的な目で見てもらえないか尋ねた。マクスウェルは、熱力学の歴史の詳細には詳しくないが、原稿の欠点を1つ2つ批判することはできるかもしれないから、喜んで引き受けると答えた。続いて彼は返事の中でまだ見ていない原稿の理論に空いた大穴を指摘した。すなわち、熱力学第2法則の欠陥だ。


マクスウェルのアイデアは単純だった。内部が二つの部屋AとBに仕切られた容器に気体が封じ込められているとする。仕切り壁には穴があいていて、その開閉には何の仕事も必要としないとする。言い換えれば、理想の引き戸だ。

「さて、ここである生き物を想像してほしい。彼は、さっと見ただけですべての分子の進む方向と速度がわかるが、【この】重さを持たぬ引き戸を使って仕切り壁に空いた穴を開けたり閉じたりすること以外、何もできない。」とマクスウェルはテートに書いた。そして、こう続けた。この小さな生き物は左側の部屋の高速の分子が小さな引き戸に向かってくるたびに、引き戸を開ける。同じ部屋の低速の分子が引き戸に近づいてくる時は、閉めたままにしておく。

こうして、高速の分子だけが左の部屋から右の部屋の入っていく。逆に、低速の分子だけが右の部屋から左の部屋に入ることができる。やがて、右の部屋には高速の分子が、左の部屋には低速の分子がたまってくる。どちらの部屋も、中にある分子の数に変化はないが、平均速度は変わる。右側の部屋は温度が上がり、左側の部屋は温度が下がる。こうして差異が生じる。「それなのに、それまで何の仕事もなされていない」とマクスウェルは書いている。「ただ、観察力が大変鋭く、手先の器用な生き物の知性が用いられているだけだ。」

どうやら、マクスウェルは熱力学第二法則に穴を見つけたようだ。この利口な生き物は、何の仕事もせずに、生ぬるさから熱を生み出すことができるのだ。マクスウェルはさらにこう続ける。「つまり、もし熱が物質の有限部分の運動ならば、そして、もしそのような物質の部分の一つ一つを別個に扱えるような道具を使えれば異なる部分の異なる運動を利用して、温度にムラのないひとつの系から、異なる温度の複数の系、つまり内部の運動状態が異なる複数の系を復元できる。ただ、我々にはそれは不可能だ。我々はそこまで利口でないから。」


私たちは、あまりに大きく、不器用なために、熱力学の第二法則を出し抜くことができない。だが、もう少し手先が器用で観察力が鋭ければ、キッチンの空気中の分子を選別して、冷蔵庫とオーブンを生み出せる。それも、電気代をまったくかけずに。



マクスウェルは、熱力学の第二法則が統計的にだけ有効であることを示したかったのだ。この法則は、私たちのレベルには当てはまるが、秀でた知性をもった小さな生き物には当てはまらない。私たちが自ら知っている世界を、膨大な数の分子の集合として表わせば、エントロピーが増加し、取りだせるエネルギーが減るという法則は成り立つ。しかし、私たちがあと少しだけ利口ならば(稀かもしれないが)高速の分子が夜の霜から、部屋に向かって飛んでくるとき、あるいは低速の分子が部屋から出て行きたがっているときに窓を開けることで、冷たさから熱を獲得できる。


知的な観察に基づいた永久機関というわけだ。


マクスウェルの語る物語は、まったく人を食っている。私たちが冬に暖かさを得るために働かなければいけないのは、宇宙ではなく私たち自身の欠陥のせいだというのだ。すべては無秩序と混乱に向かいつつある。それは、私たちがあまりに不器用で、物質の個々の構成要素を操作できないからにほかならない。

熱力学はひとつの統計理論であり、人間には知りうるものの、私たちがあまり利口ではないため、けっして獲得できない世界を物語ってくれる。



マクスウェルによれば、「ところで、二つの気体が同じというのは、いかなる既知の反応によっても両者を区別できないということだ。したがって、これまでは同じ種とみなされてきた二つの気体がじつは別の種類であり、今後その違いが発見される可能性、そして、可逆性の過程によって両者を分離する手法が発見される可能性は、低いとはいえ、皆無ではない」のだ。だから、いずれ私たちがもっと利口になり、これまでには気付かなかった差異を感知できるようになるかもしれない。その結果、これまで取り出せるエネルギーがなかったところに、利用可能なエネルギーが忽然と現れうる。エネルギーの散逸は、どうやら、私たちの識別能力にまつわる知識なしには定義しえないようだ。その能力は恒久不変ではないのだから。マクスウェルは、続いて次のような驚くべき言葉を述べている。

「これを踏まえると、エネルギーの散逸という問題は、われわれの知識の程度しだいということになる。取り出せるエネルギーとは、望ましい経路ならどんなものにでも導くことのできるエネルギーだ。散逸したエネルギーとは、手に入れることも、意のままに導くこともできないエネルギーで、たとえば、我々が熱と呼ぶ、分子の混沌とした運動状態がそれにあたる。ところで、この混沌とは、相関名辞(「親」と「子」、「右」と「左」など)と同様、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される」


マクスウェルはさらに続ける。
「メモ帳は、きれいに書き込まれてさえいれば、字の読めない人にはけっして混沌としているようには見えないし、メモ帳の持ち主も内容をすっかり記憶しているから、やはりそれを混沌とは見なさないが、誰であれ、それ以外の、字の読める人には、まったくわけのわからないものに見える。同様に、散逸したエネルギーという概念も、自然界のエネルギーをまったく利用できないものや、どんな分子でもその動きを追いかけて、適宜に捕らえることのできる者の頭には浮かばないはずだ。両者の中間にいて、うまく利用できるエネルギーも、指の間を擦り抜けていってしまうエネルギーもあるような人にとってだけ、エネルギーは取り出せる状態から散逸した状態へと必然的に移ろうように見える。」


マクスウェルの魔物は私たちの鼻先でせせら笑っている。熱力学第二法則は、私たちが利口でありさえすれば、回避できる。ただ、私たちがそこまで利口でないだけだ。
この魔物を退治することは、20世紀の科学的宇宙観における主要テーマの一つになった。なぜなら、マクスウェルの魔物の概念に間違いがない限り、永久機関の実現を阻んでいるのは、私たち自身の愚かさ以外の何物でもないことになるからだ。人間は利口でないがゆえに、額に汗して生きる糧を稼がなければならないのだ。



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…マクスウェルは、熱力学第2法則の欠点を指摘した。熱力学第2法則とは、「熱は、熱いものから冷たいものに向かって流れ、やがて均衡状態に落ち着こうとする。そして、この過程は不可逆である。」ということを示す法則だ。
えっ?でも待ってよ、冷蔵庫やクーラーは暖かい空気を冷やしているじゃん。これはこの法則に反しているんじゃないの?という問いがある。たしかにそうだが、実は違う。これは庫内を冷やす代わりに外気を温めているのだ。そしてその仕事をさせるために冷蔵庫は「電気」を使っている。この場合、部屋全体という系で見た時のエントロピーは結局増加していることになるので、第二法則は守られていることになる。(電気で冷蔵庫の圧縮機(コンプレッサーという)を動かさなきゃいけないので、それによって結局、熱が生じてしまう。冷蔵庫はそれを背面から逃がしている。)
ちなみにクーラーもまったく同じ原理。熱を逃がす部位が部屋の外にあるだけ。


『熱は冷たいものから可逆的に流れることもできる。ただし、その場合、外から【仕事】を加えなければならない。そしてそれによって結局全体におけるエントロピー増加法則は保たれる』

これは熱力学第3法則です。


話を戻そう。マクスウェルが指摘したかったのは、いわばこの【エントロピー増加則】を無視するための抜け穴、だ。
第三法則を仕事無しに成り立たせる奇跡の方法だ。時間の矢の流れを戻してしまう、その方法をみつけてしまったのだ。
仮に仕事量のかからない理想的な「引き戸」があったとして、その引き戸を操作する悪魔がすべての分子の運動量を把握しているとする。この「すべての分子の運動量を把握している」というのがミソで、これができるかできないかが、この問題を解決する糸口であるわけだ。だが、現実的にこれは不可能。
なぜなら分子は「ブラウン運動」といって常に不規則に運動しながら、そして隣の分子と絶えずぶつかりあっている。その運動量(つまり熱量)は最後にいきつく均衡点へ向かいつづける。この状態が元の状態に戻ることはない。
買って空けたばかりのトランプをきっていく。カードの順番は次々と混ざっていき、最終的に混沌状態になる。買ったばかりの元の状態になることはありえない。それと同じことが起きているのだ。
ボルツマンはこの熱の性質を理解していたが、可逆性を説くニュートン力学を信じる人々によって批判の嵐をくらってしまう。そして、最後は、孤独の果ての自殺だ。
だが、後世になってから、彼の知見が正しかったことが理解されてきた。つまり熱の性質は「統計学的にしか理解できない」という事実だ。これは、クォークなど素粒子の動きも最終的には確率的にしか把握することができない(=不確実性原理)、という量子力学の流れとまったく同じである。

そしてこの知見こそが、エントロピーの本当の意味するところでもある。
(いわゆる【エントロピーとは乱雑さの度合である】というのが一般的な理解のされ方だ。間違ってもいないんだけどね)


人間にとってエントロピーが不可逆なのは、人間が、分子の運動情報を最終的には統計的にしか把握しえないから、なんだ。
理解できるのは最終的な熱量という名の【マクロ状態】のみであって、個々の分子の運動量という名の混沌…つまり【ミクロ状態】は把握しえないということなんだ。