『パラダイムシフトするような学習は、ひらめきが起こす』/茂木健一郎


http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090105/181899/


細々としたものは別として、ドーンとパラダイムシフトするような学習は、ひらめきで起こしています。このように、ひらめきの1つは、瞬間的に完了する学習のことを指します。他にも例えばマイブームみたいなのがそうですね。ある時だけ感情的に非常に盛り上がって、やがて下がっていく。恋愛などもそうです。


 何かに興味を持って、その興味が下がるということ。おそらく小さなものも含めると、1日のうちに100回とか、バブルの発生と崩壊は起こっています。ですから、年間だと3万とか、私は46歳ですから、100万回以上のバブルを経験したことになるのです。


 ―― 人間はひらめきを、意識して起こしているのでしょうか。


 茂木 我々は、なぜひらめくのかを研究していますが、まだ尻尾をつかめていないというのが正直なところです。ただ、ひらめきは、意識して起こせないことまでは、分かっています。


 ひらめきを研究するうえで重要な研究材料になっているのが、私が日本テレビの番組「世界一受けたい授業」の中で「感動!アハ体験?」として紹介している問題があります。例えばある図柄でそれが何を表現しているのかを探すものや、時間が経つと一部分が変化していく写真でどこが変化したのか当てるものなどがあります。


 最初はなかなか分からないのが、ある瞬間に答えが分かる、つまりひらめきが起こります。その瞬間に、もうそれ以外には見えなくなるのです。


 この研究は私と石川哲朗という大学院生が一緒にやっています。そこで分かったのは、我々がいくらひらめこうと思っても無理、つまりコントロールできないのです。しかし、分かる時には、「あっ」と一瞬にして分かるのです。


発生のメカニズムは解明できない


 ―― ひらめいて分かった瞬間には、とても気分が爽快になります。ひらめいた時には、いわゆる快感物質のドーパミンが大量に出ているのですか。


茂木 出ます。しかし、それは結果として出ているのです。そのひらめきに至るプロセスは、おそらく脳の中にあるネットワークがいろいろな結びつきを試しているのです。

 
例えば、ある場合はACC(Anterior cingulated cortex)と呼ばれる前帯状回皮質というところに全部行きます。ACCは脳のアラームセンターです。そのACCからDLPFC(Dorsolateral prefrontal cortex)という背外側前頭前野に行きます。


 この背外側前頭前野は、脳の司令塔に当たる部分です。そこが「今、重要なことが起こったから、起こっていることに注意を向けてください」という指令を出します。こうした動作に伴って、おそらくドーパミンなどの報酬物質が出るのです。


 バブルというか、ひらめきが起こった後処理は、専門のやる回路があるのです。が、その辺のメカニズムは、まだ全く分かっていません。

ならばバブルに慣れればいい


茂木 脳はバブルをうまく使いこなしているのです。これまで見えなかったものが見えるようになるには、ひらめきという通常ではないことを起こしているからこそ、できているのです。


 経済的なバブルも危険なもののように、脳にとってバブルであるひらめきも、必ずしも良いことではありません。ひらめきが起こる時、脳は瞬間的に異常な活動状態になるのです。要するに0.1秒間だけ、脳が通常業務を停止するようなものです。


 これは、ご自身がひらめいた瞬間のことを思い起こしていただければ、分かります。通常、脳はリアルタイムで環境と情報の相互作用をして、適切に行動します。しかし、ひらめいている0.1秒の間は、神経細胞がその対極で、バンと活動するのです。その時は、業務停止の状態なのです。


 それは潜在的には、脳にとっては危険なことでもあるわけですよ、通常の業務ができないわけですから。だけど脳はそれをひらめきによる学習という形で、生かすことを学んできたのです。


ひらめき、というのは非常に興味がある。先日、「散歩しているとひらめく理由」という記事を書いたけれど、それとも通じる部分が多々あって、この記事が目にとまった。恐らく、解釈が正しければ、「ひらめき」とは人間が通常は逐次的に行っている脳内処理を、並列的に一気に行うことを指す。逐次的な処理が論理で一歩一歩考えていく行為であるのに対し、並列処理はそれを同時並行で何本も行っていく、ゆえに一瞬だ。


ひらめきは並列処理だろう。そのために、「集中状態」をつくる必要があるのだ。人間はひとつのことに集中しているとき、他のことが目に入らない。目どころか耳にも入らない。しかし、処理はされている。脳には入っているのだ。誰が何と言ったか、何をしていたか、本当はちゃんと分かっている。しかし、意識にはあがらない。それを、通常は意識上でひとつひとついちいち処理しているのが、我々だ。その制限を外すためには、それらの処理を無意識に「落としこめばいい」。ひとつのことに「集中」すればいい。あえて、意識にあげなければいい。


無意識は基本的に、自動運転だ。あとは無意識がおそろしい速さで、「結果」だけポンッ、と出してくれる。人は誰かと話しながら、つい夢中になって「あっ、すんません!心臓動かすの忘れてました」ってことはないし、「呼吸すんの忘れてました」ってことはない。それと同じように、あらゆることを同時並列で行えるのが、本来の脳の潜在的な機能であり、それこそが「無意識」なのだ。そこに通常の意識も落としこんでいく。そのとき、ひらめきが起きていく。


先日、「散歩しているとひらめく」と書いたのは、そういう理由があったからでございます。(=一定の歩く歩調に集中することにより、ドーパミンが出まくって脳内が並列処理になる。)




―――だから「直観」っていうのは確実にあるのよ。
(最近、自分としては日常であえて意図的に、その直観にすこし身を委ねてみてる部分があったりする。ちょっと楽しい。)


※ただ、ひとつ注意。
「無意識君」はよく『ログ違い』(記憶違い)を起こしやすい、という欠点が指摘されている。無意識でやったことは確かに早いけど、たまーに間違う。だからこそたまに「意識」でもって注意にあげてチェックしてやる必要があるのだ――――。