ラポールと防衛本能としての警戒心

苫米地式コーチング

新刊・苫米地本。
本書は氏自身の構築したコーチング理論が主だが、本当にイントロダクションと言った感じ。あえて言うと昨年のスコトーマ系話題をコーチング理論にあてはめて展開しただけ。正直あんま買ってまで読む必要は、ないわ。ただやはり随所に、というかたまに、目を見張る情報がポンっと出てきては「はぁ〜〜〜…」と感嘆させられてしまう。この人の本は凡人が10冊読んでやっと分かる知識を、一瞬で理解させてしまう。しかもさらりと。その裏側の学問的な背景知識があればあるほど、「ナニィ!?」ってなる。「そこそう捉えるの!?」みたいなね。ほんと、苫米地アンカリングにかかってるわ、自分。笑


まぁ、それでも新品金出して買う価値はあると思っている。この人の本は。それだけのものはある。


人に限らずほとんどの動物は相手に対して警戒心を持っています。警戒心は生命の維持にかかわる非常に強固で根深い本能です。この本能こそが、ラポールを確立するときに大きな壁となります。「敵を知って己を知れば勝つ、すなわち危うからず」の格言通り、まずは「警戒心」の正体を考えて見ましょう。


昔、人間がまだ狩猟採集生活をしていた頃、人々は大自然に中に集落を作って生活をしてきました。このような狩猟採集生活には、縄張りが必要になってきます。なぜならば、森や湖、川や山など、ある一定の広さから得ることのできる自然の恵みは限られており、一定の人口を維持するためには、一定の広さの自然が必要となるからです。ですから人々は互いにかなり離れた距離を置いて、集落をつくっていました。しかし、狩りなどに出かけると、まれに他の集落の人と出くわすこともあります。そうした際、真っ先に働くのがこの「警戒心」です。なぜならば、
「この人は縄張りの取り合いになる敵なのか?それとも友好関係を持つことのできる仲間なのか?」
を判断しなくてはならないからです。
そんなとき、人は何を判断材料の尺度としているのでしょうか?
それは、「類似性」と「共通性」です。

具体的には

  • 同じ服装をしているか?
  • 同じ髪型をしているか?
  • 同じ作法(文化)を持っているか?
  • 同じ言葉を話しているのか?

要するに同じ臨場感空間を見ているかということです。これらに示したような「類似性」と「共通性」を相手に見つけることができずに、相手と決裂してしまえば村同士の喧嘩に発展してしまうでしょうし、反対に相手と話をうまくまとめることができれば、「安心できる仲間」という判断をしてくれるでしょう。

たとえば、アメリカでは医師は白衣を着ないという選択をしています。ハーバード大学の医学部がそのムーブメントを先導しましたが、これは患者と異なる服装がラポール生成の妨げになると考えられ、実際にそういう研究データが集められたからです。私たちはこうしたことを本能的に、なおかつ直感的に判断していたのでしょう。その心の癖は、今も強く私たちを支配しているのです。


自分は医師の白衣に関しては、白衣を着た方がプラシーボ効果も期待できるしラポール効果も(空間支配という意味において)現れると考えていたのだが…。まぁデータはもちろんですが、人に寄りけり、という視点は最低限忘れてはならないとも考えられる。