エルサレム賞での村上春樹スピーチ

友人にたまたま教えてもらったのですが、これが本当に素晴らしい内容で。自分、あんまこの受賞に関しては詳しくないのですが、受賞に際して辞退を勧める動き(著作のボイコット運動をちらつかすなど?)もあったらしく、それをあえて理解した上での今回の受賞・スピーチだったようです。




訳文はこちら





また、スピーチ内容もさることながら、内田樹さんのブログのスピーチ内容の解釈も素晴らしかった。自分はこの記事を読んで、「そうか、このスピーチは釈迦の「空」とミシェルフーコーの話なんだ」と思いました。文学のもつ意義は、「知の束縛」からの解放なんだ、ということです。



それについて、今日はちょっと書いておきたいと思います。
(先に本文と内田さんのブログを見ておいて頂けると幸いです。)




どういうことかというと、言葉というのは本来不完全なのだ、ということです。言葉をある意味、万能だと思っている人があるとすれば、それは即刻その考えを改めた方がいいです。なぜなら、「現象を言葉で完全に説明することなど絶対に不可能」だからです。現象というのは、時々刻々と変化しているものです。そして、千差万別の違いや個性を持ったものです。その現象に対して、名前をつける、概念を与えるということは、(抽象化するということは)現象を「固定する」ということです。
「定義する」ということは、「固定」するということです。
ある概念が固定化されるとその対極にある概念がまた定義づけられます。そして、その概念は未来永劫、永久に続きます。(少なくとも人間の世界において)それはまるで過去、「異常者」を定義づけることにより「正常者」が定義づけられ、それによって初めて精神医学が誕生したように―――。ミシェルフーコーが指摘したのは、その「定義づける」行為に潜む【暴力性】です。
正常、異常などというものが、はたしてそう簡単に定義できるものでしょうか?「善」や「悪」といった概念が、そう簡単に決められるものでしょうか?いいえ、違います。あえて言いますが、この世の中において「固定的な善や悪」など絶対に存在しないのです。しえない。少なくとも私はそう思います。


餓死しそうになって飢えをしのぐために食べ物を盗んだ少年に、我々はその行為を「悪だ」と一言で切り捨てることは許されるのでしょうか?
いいえ、そんなはずはありません。



固定的な善や悪など存在しない。
固定的な異常も正常も存在しない。
あるのは、瞬間瞬間生み出された、その瞬間にしか存在しない「何か」です。


善や悪のそのもっと裏側に潜むものを、一般化してなど語れない「何か」を、いとも簡単に切り捨ててしまえるその「言葉」が【暴力】なのです。
それをミシェルフーコーは「知の暴力」といい、釈迦がそれを打破するために用いたのが「空」の論理です。


―――これは、知識を全否定するものではありません。「知識」とは、そういう特性を持っている、と言いたいのです。「記号化」・「抽象化」するということによって得られる恩恵と同時に、それらの持つ危険性も我々は知らなければならないのです。


「知」によって定義づけられた、束縛された【何か】を、その知によって解放し直そうとするのが文学であると思います。知による「定義」という固い【殻】に閉じ込められた「何か」を。人間が【言葉の生き物】である以上、我々にそれを成しせしむるのは、やはり「言葉」による以外にありません。言葉による束縛は、言葉によってしか解放しえないのです。
それは人間であることのひとつの限界かもしれません。
なぜならこの使い勝手の悪い、不完全で不器用な「言葉」というものは、しばしばそれ自身の持つ限界によって苦しめられているものだから。その限界性に我々は終始戸惑い、悩みながら、判断してこいつを使っているわけです。そしてそれを職に飯を食っているのが、もの書き。言葉の限界を「言葉で」越えようとするたたかい。今でこそ自分もこう気づけたが、それを自覚しない奴らは、物書きじゃない。逆に、その言葉の特性を利用して人を貶めようとする奴らもいるしね、世の中には。まさに「知の暴力」。ことばの特性を逆手にとった、卑しい奴ら。もっともそれにすら、本人たちは気付いていないかもしれないが。


とにかく、氏のスピーチの中で出てくる「卵と壁」の「壁」は【システム】と表現されているが、ここでいう知もまさに【システム】である。知の体系、である。そういう読み解き方もできると思うし、してもいいと思います。
物騒な世の中ですからね。戦争だって、人間がつくった【システム】が引き起こしたものじゃん。【システム】をつくったのは、人間じゃん。だったら人間の手で無くせるはずだと思うし、それは可能だ、と僕は信じている。



「定義」という殻に閉じ込められた「何か」を、その無限の可能性を、「空」へと解き放て。


「殻(から)」から「空(から×クウ)」へ解き放て。


そう、あの晴れ渡る、無限のような大空へ。




そんな感じぃー。