ダーウィン進化論は完璧ではない

(雑記ノートから)

種の起源」(1959年)

1、個体の変異
2、自然界の選択。
これは育種(人間による)とマルサス人口論に着想を得たもの。

→「人口は幾何級数的に増えるが、食料は直線的しか増えない」ゆえ、かならず食糧不足による飢餓が発生するはずである。私たち人類の人口は激しい闘争によって増えすぎないようにコントロールされているのだ。

自然界でも環境に適した個体、適さなかった個体によって生存が決まる。つまり自然に《選択》されたも同然だ。「自然界が、環境に適した生物を《選択》するのだ」
3、適者生存(Survival of the fittest)。昔は「優勝劣敗」と訳した。


創造説の否定

航海を終えて帰国したダーウィンは採集してきた資料の整理にとりかかる。その中のアリクイの化石が、現在のアリクイの形態と非常に良く似ていた。仮にこの大きなアリクイが現在のアリクイの祖先だと考えると、アリクイという動物は、長い年月をかけて小さく変化してきたのではないかと考えられる。


この考察が正しいなら、地球上のさまざまな生物は神が別々の種として創り、その種は不変であるという創造説は間違っていることになると考えた。


またガラパゴス諸島で採集したヒワの標本を見て、いずれもヒワの仲間であることは確かだが、少しずつ姿かたちが異なっている。身体が大きかったり小さかったり、くちばしが尖っていたり太かったりと島によって同じヒワでありながら微妙に姿形がちがうのだ。


ここからも、神がほんの少しずつ違った特徴を持つヒワをつくったと考えるよりも、これらのヒワはすべて1種類のヒワを先祖とし、それが島の環境の違いによって姿形を変えてきたと考えるほうが合理的だとダーウィンは考えた。
こうして創造説を否定する第一歩を踏み出した。

メンデル「遺伝学」へ

集団遺伝学→ 「個体に起きた突然変異がどのように種全体に広がるのか?」
=小さな集団は進化が起きやすい。


現在の主流、総合進化説へ。(ネオダーウィニズム)。
遺伝学、自然淘汰、交雑、隔離といった考えが総合された結果生まれた説。
・どのように種や品種が生じるのかという、種分化
・原始的なウマから現代のウマへの進化といった、系統進化
・爬虫類から鳥類や哺乳類への進化といった、もっとも大きな進化である大進化

進化論の矛盾点

1、突然変異とは、遺伝子が親から子にコピーされるときにおきるミスのこと。

→ミスで有利な子供が生まれるとは考えにくい。
例:ショウジョウバエにX線照射して遺伝子を意図的に破壊すると、羽の生える場所が変化し、目の色が変化。不利な進化しかしなかった。


=ベートーベンの作品の音符を一箇所まちがえたら、それ以上に素晴らしい作品になったのと一緒!


2、適者が生き残るというよりは、運なのではないか?(運者生存?)

魚はタマゴをたくさん生むが、そのタマゴからたくさん生まれた稚魚のうちで、最後まで生き残って子孫を残すことができた個体が勝者であり、天敵に食べられてしまった稚魚は適者ではなかったということになる。
しかし、天敵に食べられてしまった稚魚は適者ではなかったというよりも、ただ単に運が悪かった個体であり、「適者生存」というより「運者生存」という言葉のほうがぴったりである。


3、ミッシングリンクの存在

ある個体に起きた突然変異という小さな変化の積み重ねによって、新しい種が誕生するなどということが実際に起きるのか、という疑問がある。


例えば、陸上や水中で暮らしていた爬虫類が進化して鳥類になったとは考えにくい。鳥類として空を飛ぶには、

1、爬虫類の前肢が羽に変わる
2、羽を動かすための脳も進化する
3、骨を中空にして体重を減少させる
4、空気抵抗を少なくするのに有効な身体の変化が起こる

といった大きな変化が起きなくてはならない。これは自動車の部品をいろいろ改良していたら突然飛行機が出来たというような話である。このようなことが突然変異の積み重ねだけで起きるとはとても考えられない。


ダーウィン進化論最後の欠点は、これまでに発掘された化石がダーウィン進化論と矛盾している事実である。


これまでの化石の研究では、進化の途中段階に当たる中間の化石が1つも見つからないという、いわゆる「ミッシングリンク(欠けた輪)」と呼ばれる現象がたくさん存在する。ミッシングリンクについては、キリンの首の話がわかりやすい。キリンの祖先にあたる短い首の化石はたくさん見つかっているが、中間の長さの首の化石は今までに1つも見つかっていない。
このミッシングリンクの謎が解けない限り、ダーウィン進化論は未完成と言うことになる。


※人類のミッシングリンクも存在する。「人間がなぜ二足歩行になったのか」はいまだ未証明であり、わかっていないのである。