物理定数は変化する?

2008.12.11.物理定数は変化する? | 日経サイエンス


J. D. バロウ(ケンブリッジ大学
J. K. ウェブ(ニューサウスウェールズ大学)
 
 決して変わらないもの,それを物理学者は自然定数と呼ぶ。光速cやニュートン重力定数G,電子の質量meなどの定数は,宇宙のいたるところで常に同じ値をとるとされている。物理学の理論は定数をもとに構築され,私たちの宇宙の構造は定数を用いて定義されている。物理学は,定数をより精密に測定することで進歩してきた。
 

しかし驚くべきことに,いかなる定数の予測も証明も,いまだに成功したためしがない。ただひとつ一貫しているのは,その値の多くがたとえわずかでも違うと,生物などの複雑な構造は存在できなくなるということだ。定数を説明しようとする試みは,自然を完璧に統一的に記述する「万物の理論(究極理論)」を構築しようとする取り組みを後押しする力となってきた。物理学者は究極理論を用いれば,それぞれの自然定数が特定の値をとる理由を論理的に示せるだろうと期待してきた。究極理論が一見気まぐれな世界の根底にある秩序を明らかにするだろうというのだ。
 

しかし,近年,定数をめぐる問題は秩序どころか,いっそうの混乱に陥っている。究極理論の最有力候補は,ひも理論から派生した「M理論」と呼ばれる理論だ。M理論が矛盾なく成立するには,時空の4次元に加えて,宇宙にさらに7つの次元が存在しなければならない。ここから推測できるのは,私たちが認識している定数は,実は根本的な定数ではないかもしれないということだ。本当の自然定数はすべての次元をそなえた高次元空間にあって,私たちはその3次元の「影」を見ているにすぎない。


 むしろ,「定数」という呼び方自体が正しくないのかもしれない。私たちの定数は,時間によっても空間によっても変化する可能性があるのだ。余剰空間次元の大きさが変われば,それに伴って私たちの3次元世界の「定数」も変わるだろう。はるか遠くの宇宙を見つめれば,「定数」が異なる値をとっているような世界が見えてくるかもしれない。
 1930年代以降,研究者は定数が一定でないのではないかという疑問を抱くようになった。この考え方はひも理論によって理論的に信憑性の高いものとなり,定数の変化を探すことが重要な課題になった。


 特に関心を集めているのは,光速c,1個の電子が持つ電荷e,プランク定数h,そして,いわゆる真空の誘電率ε0の比をとった定数α=e2/2ε0hcだ。


 「微細構造定数」として広く知られるこの値は,電磁気学量子力学理論を適用した先駆者ゾンマーフェルト(Arnold Sommerfeld)によって1916年に初めて導入されたもので,真空中の荷電粒子の振る舞い(ε0)を含む電磁(e)相互作用に関して,相対論的な性質(c)と量子論的な性質(h)を関係づけている。αは約1/137(1/137.03599976)の値を持つということが測定からわかっているため,物理学者の間では137という数値が特別な意味を持つようになった(彼らのブリーフケースの鍵の番号はたいてい137だ)。


 仮にαの値が違っていたら,私たちの周囲の世界は現在とはまるで異なるものになるはずだ。αが今よりも小さくなれば,原子からなる固体の密度が低下し,分子の結合がもっと低い温度で切れるようになり,周期表の安定な元素の数が増える。逆に大幅に大きくなれば,原子核内の陽子間に働く電気的な反発力が,核子を結びつける「強い力」を上回り,原子核は存在できなくなる。たとえば,αが0.1まで大きくなると,炭素原子核はばらばらに分裂してしまう。
 
キーワード:オクロ/クェーサー/スペクトル/暗黒エネルギー/マルチバース






著者  John D. Barrow/John K. Webb


2人が自然定数に関する共同研究を始めたのは1996年,英国のサセックス大学で研究休暇をとっていたときのことだった。バロウは定数の変化に関する新たな理論的可能性を探求しており,ウェブはクェーサーの観測に没頭していた。他の物理学者や天文学者も,間もなく彼らのプロジェクトに引き込まれていった。中でも注目すべき存在は,オーストラリアにあるニューサウスウェールズ大学のフランバウム,ケンブリッジ大学のマーフィー,ロンドン大学インペリアルカレッジのマゲイジョらだ。バロウは現在英ケンブリッジ大学の教授で,王立協会の会員でもある。ウェブはニューサウスウェールズ大学の教授だ。2人は一般への科学の啓蒙に力を注いでいることでも知られる。バロウは科学とは関係ない書籍を17冊執筆しており,戯曲「インフィニティーズ(Infinities)」はイタリアで上演されている。彼は,ベネチア映画祭から英国首相官邸バチカン宮殿にいたるまで,さまざまな場で講演を行ってきた。ウェブは定期的に諸外国での講演を行っているほか,10本以上のテレビ番組やラジオ番組に出演している。

ありゃりゃ。プランク定数までもが、一定じゃないってかい。


J.D.バロウの本は近々読もうと思ってたんだよ〜。「万物理論」とか「世界に証明できないことが存在するわけ」(だっけ?)とか。



「世界が本当は11次元から成っており、我々はその3次元的な側面しか見えていない、自然定数はその3次元世界における普遍的な数でしかない」。でもこれは、その自然定数自身の否定ではないでしょう?
あくまで11次元宇宙の「側面」であるわけだから、その数が間違いだったわけではなくて、11次元の世界へのとっかかりとなる数なわけでしょう。
ましてやこの人間にとっての宇宙には「観測の限界性」があるから(=光の速さは相対性理論により越えられない、重力子「グラヴィトン」はまだ見つかっていない、位置と速度は同時に測れない「不確実性原理」など。)、自然定数を上回る未知の定数が見つかる可能性は低い、というだけで…。


まぁ僕だって専門家じゃないから素人に断定なんてできないけど。


11次元かぁ。人によっては26次元まで提唱している人、なんてのもいるらしいし。
たぶん、きりないでしょう、宇宙は。笑


【宇宙の本質は『無限』なのではないか?】。こういう考えが最近頭に浮かんでしょうがない。直感的に。
そして個人的に、だいぶ的を射た直観だと自負している。(もちろん根拠はない)


今回の話だって、究極的にはゲーデル定理の話に聴こえる。
この世界、をひとつの公理系と捉えれば。


ユークリッド幾何学における公理(すなわち「ふたつの点と点を結ぶ線は一本しかない」とかいう類のアレ。疑いようもなく、証明するまでもない当然のごとく存在する事実を「公理」。と呼ぶ。さらに公理から帰納的に証明されたものを「定理」と呼ぶ。代表的なものはピタゴラスの定理。など)が存在するように、この宇宙にも、光速度c、などのような不変の事象が存在わけですよ。
そして我々はその「檻」からは出られないわけですよ、未来永劫に。これは立派なひとつの公理と呼べるものじゃあないのか?自分達は「宇宙」というひとつの公理のなかに閉じ込められているのではないか?


しかし、世界が仮に11次元まで存在するものとして、と…いうことは3次元宇宙という公理系を超えるさらなる「公理」が存在するということに繋がるとは考えられないか?(いや、早計すぎるか…)証明できない言明、カオス。ランダム数…。


プランク定数h、光速度c、電子の電荷e…これらを超える、さらなる公理があるのだろうか


そして。さらに妄想は進む。
もしそういう公理が存在するとしたら、「公理」である以上、その公理系にもまたゲーデル定理が発動することになる。(公理として無矛盾ならば。)
こう考えると愕然とする。


仮に11次元の定数を発見したとしても、また11次元宇宙を上回る「公理系」の可能性が浮かび上がるのだから。


オゥ、シット。


じゃあ無限じゃん?宇宙って?笑となるわけですよ。



まぁあくまで妄想の域を出ないのでこれくらいにしときます。
光速度cを公理のひとつとみなす、ということ自体、偏見で喋ってるんで。


でもこういうの考えるのがワクワクして楽しいんだよね、科学ってさ。