・宇宙の持つエネルギー
普通の物質 4%
残りの物質 96%→ 正体不明。
物質という表現もおかしいが、
正体不明の96%のうち、23%は観測にかかっていない物質で、暗黒物質(ダークマター)と呼ばれている。重力で星が「揺れる」ので存在は分かるもの。
残りの73%がアインシュタインの宇宙定数であり、ダークエネルギー、または第5元素と呼ばれる。
こっちは完璧に謎。なんらかのエネルギーが、ダークエネルギーとしてあの宇宙の真空と言われている空間に満ちている。
物理において宇宙における「真空」は、物質が生成消滅する場である、と捉える。
物質と反物質(電荷が反対のもの。反陽子、反電子など)がぶつかると光を出しながら消滅する。
「消滅」である。「0」ね。
それが宇宙では瞬間瞬間起こっている、と。
しかしここで終わらないのが物理の面白い所。
「元あるものが消えてなくなる」ということは、「何もないところから物質が生まれる」とも考えられる。「有→無」があるのなら「無→有」があってもおかしくない、ってこと。
「1+(ー1)=0」なら、「0=1+(ー1)」だと。(…合理的だ!)
この「0」の状態が宇宙の「真空」の状態ではないかと。しかしこれは完璧に消えてなくなったのではなく、「何らかの」エネルギーの形で存在すると考えられる。あるんだけど、ない。目に見えない。
…これは仏法の「空」の概念そのものだと思えてならない。
「在るけど無い」「無いけど在る」という。「冥伏」という概念だろうか。
「空仮中の三締」の概念で言えば…
物質(現象) → 仮
ダークエネルギー → 空
その両現象を貫く力(法則) → 中
…ということだろうか。間違っていると謗法になるので真摯に教えを請いたいところではあるが。
「生命は死ぬと宇宙に溶け込む」とは良く聞くところだが、この仏法の概念がまさにぴったりそのまま当てはまるような話である。
あらゆる生命は「生住壊空」のリズムを繰り返していて、死とともに物質的にはバラバラになるが、それら物質はさまざまなエネルギーに姿かたちを変えながら、自然を循環し、自然そのものとなり、やがて宇宙に還っていく。やがて「因」がなんらかの「縁」によって結合し、また生命として生を受ける、という。。。
さらに「人間革命」などでは、
「生命というのは海における「波」のようなものだ」とも例えている。
海に波が起こって水が隆起している間が「生」であり、やがて波が収まって海のなかに溶け込んだ状態が「死」である。
ここでいう海というのが「宇宙」のこと。
海にとって波が起きている時間は一瞬であるように、宇宙の悠久の流れから見れば人の生もまた一瞬である。
…いやしかしね、「波」ってくると、どうしても量子力学の概念とかぶってしまうんだよね。笑 まぁそれはいいや。
しかして私がここで思うのは、死でバラバラになった生命の「我」はどこへいくのか、という問題だ。今意識している「自分」という概念、こいつはどうなっちまうのか。物質と同じくばらばらになるのか。っていうかバラバラになるってのは一体全体どういう状態だ?っていうか「我」ってそもそも何なんだ?
「戸田城聖全集2巻 質問会編」では巻末の座談会のところでこの死んで宇宙に溶け込んだ後の「我」についての話が読める。戸田先生も相当慎重に語っている空気があり、内容も相当興味深かったが、むずかしくて文章に再現することが出来ない。。。「とにかく難しい」という印象を受けた。人間の認識を超えている、というか。まぁそもそも人間の認識能力なんてぇのはもともと陳腐なもんだからねぇ。。。
話がそれにそれた。とりあえず、結論。
→ 宇宙をつくっているものに関してはほぼ何も分かっていない。。。