ひらめきとは必然である 「99%は論理力、1%は直観力 / 竹内薫」

99%は論理力 1%は直感力

99%は論理力 1%は直感力


最近売れっ子、物理学者・竹内薫氏。最近で有名なものでいったら、「99%は仮説」とかだろうか。本書は内容としてはややビジネス本寄りである。


 かの有名なエジソンは「99%の汗と1%のひらめき」という名言を残しました。それは論理と感情の関係にも似ています。言うなれば、99%の論理力と1%の直観力です。アイデアマンと呼ばれている人達も、おそらく最初は1%の発想から出発するのです。ただ、言いっぱなしではダメで、それを実現して初めて意味があるのです。もちろんこれは、98%の論理力と2%の直観力ではマズイとか、そういう厳密なものではありません。状況によっては50%の論理力と50%の直観力でもいいのです。いずれにしても、私が言いたいのは、論理と直観の両方がなければいけないということ、そして、アイデアやプランを実行するときには強い論理力が必要だということです。


 1%のひらめきを実現するには、99%の論理力が必要になるのです。逆に言えば、ヒット商品のアイデアの基となる1%の「ひらめき」を生むためには、99%の「論理力」という土壌がなければならないのです。


――――1%の直観は99%の経験がなければ絶対に生まれない
最近そういう思いがある。
「ひらめき」と聴くと、あるとき偶然生まれる、空から降ってくる天からの啓示?的な?…そんなもののような感じを受けてしまいがち。しかし、実のところはそうではないのではないか?と。もしかしたらひらめき、直感とは「必然」なのではないか、との思いがある。


0から1を生み出すのは容易なことではない。「1」が生み出される背景には、無限の経験の集積がなければ、ダメだ。それはいわば鍋をぐらぐら煮て寝かすかの如くである。材料の集積がぐらぐら煮続けられた末―――煮てることすら忘れかけたころに―――、ある日いきなり材料がケミストリーを起こすのだ。材料を頭の中でしばらく寝かす必要がある。また、ケミストリーを起こさせるだけの材料を頭の中に集め続ける必要がある。


スポーツだってそうだろう。右か左か。ある究極の選択を迫られた瞬間に、頭は右だと分かっている…しかし身体が「左だ!」と言っている…そういうことに出くわす瞬間があるそうだ。しかもそれは一流であればあるほど、だ。


一流である自分の「経験」から導き出される、論理を超越したモノ…。動物的な勘。


これこそがひらめきの正体なのではないだろうか。
一見、こいつは非論理的だ。しかしてそれは非・論理的でありながら、実は最も論理的なのである。心理っぽく言えば、意識の処理を超えた、無意識の処理の賜物、だろうか。


99%の経験の集積が、1%のひらめきと直観を生むのだ。そのひらめきを起こしたくば、一日一日の修練こそが大切であり、陽の当たらない陰での努力が必須になる。


そうなのだ、「1%のひらめきを生む天才」とは「99%の努力をした人」なのだ。


そのひらめきを起こしたくて、こうして僕は日々、本を読み、人と話し、聞き、自分の目で・耳で感じ、努力する。