紅葉がなぜ起きるのかはわかっていない

謎がわかれば除草剤開発も

一口に紅葉と言っても、イチョウのように黄色くなる「黄葉」と、カエデのように赤く染まる「紅葉」の2種類がある。変色の仕組みは、それぞれかなりわかっている。



 落葉樹では、秋になって気温が下がると葉のつけ根の辺りに離層という組織ができ、葉を落とす準備が始まる。
離層ができると栄養分が葉に届きにくくなり、緑の色素クロロフィルの分解が進む。ここまでは「黄」も「紅」も同じだ。
 「黄」の植物の場合、クロロフィルが少なくなって緑色が薄くなり、もともと葉にあったカロテノイドという黄の色素が前面に出てくる。
 

 一方、「紅」の植物は葉の中でアントシアニンという赤い色素を新たに作る。光合成でできた糖が離層にせき止められて葉の中にたまるとアントシアニンの合成が始まる、というのが定説となっている。

 
ただ、東京農工大学で紅葉のメカニズムを研究している百瀬忠征さん(元都立国立高校教諭)は定説に疑問を持つ。自然には紅葉しない水生植物オオカナダモンの葉をショ糖の水溶液の中で培養し、人為的に紅葉させる実験を重ねた結果、条件によってはショ糖がなくても紅葉をさせられたからだ。




 そもそも、木々の葉があれほど鮮やかな「黄」や「紅」に染まるのはなぜなのだろう?

「実は、植物が何のために葉の色を変えるのか、よくわかっていないのです。」と百瀬さん。
紫外線から身を守るためとか、落ちた葉が木の根元の雑菌を殺すためといった諸説があるが、実験が難しいこともあって謎は解けていない。
 また、「天気がよくて昼夜の温度差が大きいほど紅葉の色づきがよくなる」という経験則についても、はっきりとした理由はわかっていないそうだ。


紅葉は葉にとっては死へのスイッチでもある。その詳しいメカニズムがわかれば、新たな除草剤の開発につながるかもしれない。




(「今さら聞けない科学の常識 / 朝日新聞科学グループ編 / 講談社ブルーバックス」)


要するに―――
いつも葉が緑色なのは色素クロロフィルが緑色だから。
秋になって気温が下がると、枝と葉のあいだに「層」ができて栄養をシャットダウン。(葉を死なすため。)
→葉の中でクロロフィルは分解される。結果元々葉の中にあったキサントフィル(黄色素)が残る→葉が黄色に見える。


残った葉は依然光合成をつづけるので、葉の中には糖がたまり続けていく。「紅」の葉の場合、そこからさらにその糖と「何らかのしくみ」により赤色素・アントシアニンが合成されて作られる、と。




―――「仕組み」はわかっているけれども「それがなぜ起こるのか」はわからない。こういうことって意外と多い。


結局、我々がいつも「知っている」と言っているのは、この「しくみを知っている」というだけの意味なのだ。

人間は大自然という「遊び場」のなかで、様々なマジックを見せられながら、右往左往して、その中でわかった少ない知識の中で、自分も遊んでみているだけなんだ。そのマジックを見せてくれているのが何者なのか、今でも誰も知らずに…。

ともあれ、大事なのはその後。
「なぜ?」
の部分。「なぜそうなるの?」「なにがそうさせているの?」
それを考えることは本質的な学問の世界に入ることを意味すると思う。


随分前に、紅葉がなぜおこるかを前にも本を読んでいて調べたことがあったけれど、その時はメカニズムを知ることができただけで、なるほどなぁ、という思いに過ぎなかった。その時の本には東京農工大学の実験までは載ってなかったのと、「なぜ紅葉するか」ということに関してはスルーする記述だった。笑
こういうしくみなんですよー、すごいでしょー、ねー。以上!と。笑
本に読まれてしまって疑問に思う隙がなかった。


が、今回読んであ、これが本質的な話題だ、と気づいた。


何が紅葉をさせるか。
それは多分紅葉することが「必要なこと」だからだと思うんだよね。
種として「せざるを得ない」こと、というか。それは一体なんなんだろうなぁ。
例えば共進化の概念から考えて、「他の生物に種を見極めさせるため」
とかも考えられるしね。


例えば蜂の色がどうしてあんな「黄色×黒」なぁんて、原色×原色のドギツイカラーリングしているか、といえば他の生物にとって「自分は害があるよ」と知らしめるため、だしあるいは逆に「あれは危険なものだ」とこちらが認識するためにこちらがそう見えるように進化したとも考えられるし。


うーん。



じゃあ「木の葉が秋になるとなぜ落ちるか」の方はご存知?
なぜわざわざ「葉を殺す」必要があるのか。


それは、
「冬になると空気が乾燥して、表面積が大きいほど木全体の水分が失われてしまう。だから少しでも表面積を減らすために葉を落とす」んだって。


つまり「生きる」ために「葉を落とす」。


葉にとっては「死」だよ。
でも「木」の生の中ではとても意味のある「死」…。


これが定かかは慎重に置くとして、初めて知ったときは…もぅなんともいえない感動だったわね。
あーすべて意味があるんだ」というか。
大自然ってすげぇな…、みたいな。頭いいなあいつら、というかみんな厳しい自然環境も、したたかに生きているんだ…、という。。。



バカにできないっすよ。自然のこと学ぶのも。