これぞ世紀の一冊!『ユーザーイリュージョン / トール・ノートランダーシュ』

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

これはぶったまげた。つうかぶっとんだ。
デンマーク科学ジャーナリストとして活動する著者のこの書、内容もさることながら、全500Pという超極太ボリュームに定価4200円という、いろんな意味でスケールのでかい本である。しかし、内容は超一級だ。なにより圧倒されるのは、まずその学問的な守備範囲の広さに尽きる。


熱力学第二法則にまつわる、『マクスウェルの魔物』から始まりシャノンの『情報エントロピー』、ヒルベルトゲーデルチューリングの流れから来る『ゲーデル不完全性定理』、『複雑系』、情報理論から見た『心理学』『神経生理学』『脳科学』、『サブリミナル』『閥値』『無意識』『哲学』『宗教』『宇宙論』『量子力学』、そして最後に再び『複雑系』『カオス理論』『カオスの縁』『フラクタル』、そしてそこから『経済』『政治』…。


なんちゅう守備範囲の広さ。笑 ここまで広いのは初めて見た。
しかしこの一見別々の、分断された学問領域に一本筋を通していくのはずばり『情報理論』。『情報』の一言でここまで諸学問を統一できるもんなのか、と感嘆しましたよ。

意識に上がるのは無意識のわずか100万分の1の情報量

人間がいま感じているこの主観的な『意識』をビット換算すると、わずか毎秒40ビットほど。それでも多い方で、本来はこのうちせいぜい15ビットほどであるという。

人間の意識に上がるのは注意による選択を受けた刺激だけだ。これは知覚心理学における『フィルター仮説』などで知られているところである。中でもよく知られる例えが、『カクテルパーティ効果』というやつだ。(「やかましいパーティ会場でも目の前で話している人の話はしっかり聴こえる。」)しかしこの仮説は厳密にいえば正しくない。ここでは注意による選択を受けなかった刺激は「振るい落とされる」と考えられていたが、実際はこれらは意識に上がらない、というだけでちゃんと処理されている。
どこで?


『無意識で』。


身近な例でいえばデジカメでビデオを撮るとよくわかる。動画には「ゴーッ」という音や耳には聴こえなかったような雑音までちゃんと録音されてるはずだ。これはデジカメには「注意・選択」する機能がないからだ。人間にはこれがある。すべて知覚しちゃうと脳がぶっこわれちゃうから。


そしてここが大事なのだが、ではその選択されずに、本来その無意識で処理されている情報量はどれくらいなのだろう?結果から言ってなんと「1100万ビット」だという。ハイ、まずここでイチぶっとびね。笑
(視覚1000万ビット、聴覚10万ビット、嗅覚10万ビット、味覚10万ビット、皮膚感覚100万ビット)。


つまり人間の意識に上がってくるのは、無意識で処理された情報の100万分の1でしかないのだ。

筆者は、無意識で処理された情報につじつまを合わせて、そのわずかの情報に整合性を持たせて『シュミレーション』されたのが我々の知覚である、というのである。


意識には0.5秒の遅れがある

このように人間の意識というのは無意識の処理の後に生じるものである。そして実は両者の処理の間には、タイムラグがある。ここが本書のひとつのハイライトでもある。


人間が行為を起こす前に、実はわずかな時間だが少し前に、脳内で【準備電位】というものが発生する。詳しくは省略するが、この【準備電位】は人間の動作の1秒前に発生している。


つまり、我々が「自発的に」行動をしようとするその1秒前に脳はその行為をすでに決定しており、準備電位を起こして行動を始めている、ということになる。

しかもこれにとどまらず、さらに不思議なことが実験で確かめられた。
それは人間には、この本当は起きている【1秒】の遅れを【約0.5秒】に繰り上げるシステムが存在しているらしいのだ。つまり本当は1秒前に準備電位が発生しているにも関わらず、これを0.5秒前だよ!と錯覚させるシステムが、わざわざ、人間に存在しているのだ。
この「繰り上げ」のシステムは本当に謎だ。ただでさえ1秒遅れている意識を、さらに繰り上げてより起きた直後に意識が起きているように、『よりリアルな感覚に近いように』仕向けられている。我々はこうしている間にも、意識にだまくらかされているのだ。


ここから様々なことがわかる。
意識とは0.5前の過去であること。

またこの0.5秒というタイムラグがあるということは、超並列処理(PDP)を行う超高性能コンピュータである脳味噌にとっても、0.5秒もかかるほどの情報量が瞬間瞬間、処理されているということでもある。そりゃそうだ、なんたって無意識は1100万ビットの世界だもの。

さらに、いわゆる「直観」というものの存在可能性もこれで否定できなくなった。
なぜなら毎秒40ビットの意識で処理されているよりもずっと多くの情報や刺激が、すでに脳内で処理されているからだ。われわれが認識できるのはそのほんの一部であるため、無意識が考えている本当のことがたまに意識に上がるのだろう。と、いうかもっといえば我々は常に無意識という、大海原の上を漂う小さな箱船のようなものであり、意識なんてものは無意識につねに揺られ、その行方を知るのは無意識のみ、ということになる。著者も言っているが、これは【果たして人間に自由意志なんてものはあるのか】という深い命題にも繋がる。




だから、本当に動かすべきは【無意識】であって、逆にいえば「無意識を意識から揺り動かすことができれば」、人間は自由意志(とまではいかなくても本来至るべきところまで行ける意思)を得れるのでは?と僕なんかは思ってしまうのだが。。。


そこで本書でキーワードになるもうひとつの単語が『複雑系』であると思う。


が、今日は打つ気力が湧かないのでちょっと無理だ…。笑



とにかくこの本にはぶっとばされました。
後ほどトピックごとにメモしておきたいことは書いておこうかな。